Jan 23, 2026

サングループ社員による「年末年始の過ごした方」Yさんの場合 ~何もない空に、去りし日を重ねて~


入社3年目、社員J・Y、新しい1年の始まりに想い出を辿ってみた。

×    ×    ×

休日。
淀んだ空気を入れ替えようと、冷たい窓のハンドルを回す。
鈍色の空間が若葉色の世界と繋がる。
いわゆる閑静な住宅街。人通りは少なく、車の行き交いもない。
ここで鳴り響くものと云えば、虫鳥の鳴き声と玄関のチャイム音。
それと──。

カタカタカタカタと音を立てて、鉄の塊がレールを登る。
次の瞬間、鉄の塊が勢い良くレールを下り、大きく風を切って音を鳴らす。
その後を追うように、人々の歓声と絶叫がないまぜとなった声が空に響く。

×    ×    ×

子供の頃、家のすぐ傍には遊園地があった。
ジェットコースターから発せられる喧騒も暮らしの中にあるものだった。

遊園地はコンクリートの壁に囲われており、その外周に沿ってアスファルトの道が伸びている。
誰かにとっては通学路であり、別の誰かにとっては買い物への経路である、なんてことのない道。
けれど、日常の中で最も遊園地という非日常に近づける場所でもあった。

子供の頃は壁がある方へ道を進むことを「中心へ向かう」と捉えていた。
この町の中心は遊園地だと、そう感じていた。

自分にとって遊園地はずっと在って当然のものだった。

しかし、今から何年も前の蝉の鳴く夜に、遊園地は歴史に幕を下ろした。
遊園地は取り壊され、公園や新しい施設へと変わった。

×    ×    ×

遊園地のあった場所へ足を運ぶことは避けていた。
在って当然だったものが今はないということを直接目にしようとは思えなかった。

されど昨年、自分の中で変化があった。
一歩踏み出せたと感じられる出来事があり、それで少し気持ちも変わった。

また次の一歩の為に、想い出に一区切りをつけるのも良いんじゃないか。

×    ×    ×

入り口に足を入れる。
当然ながら、あの日退屈した券売所もドキドキしながらくぐったゲートも今はない。

ただ、ゲートの先くらいにある瓢箪のくびれのようにすぼまった通路は形を大きく変えてはいなかった。

左手の花壇は遊園地時代には大きな看板やオブジェがあり、記念撮影にうってつけの場所だった。
今はここで記念撮影をする人は見当たらない。


通路を進むと川を渡る橋がある。
ここまで来ると、いよいよ遊園地に来たという実感が湧いたものだった。

今、橋の両脇は煉瓦造りの花壇から無機質な高欄へと変わっていた。
川沿いの桜並木が見やすくなった反面、春以外は殺風景に思う。


橋を渡ったら真っすぐ行かずに左へ曲がるのが、自分のお決まりのルートだった。

左へ曲がると、休憩や食事にぴったしな屋外席とお土産屋の「ビープロムナード」があった。
ビープロムナードでは、広い店内に所狭しとグッズや人形が並んでいた。お土産屋より玩具屋に近かったかもしれない。
子供にとってそれはそれは心踊る場所だったが、屋上にジェットコースターが設置されていたので、ほんの少し恐ろしい場所でもあった。


屋外プールとそこへと繋がる道は今は跡形もない。

夏は本当に人で賑わうプールだった。
家族、親戚、友人……いろんな人たちと毎夏遊びに行った。

プールには大型のウォータースライダーも設けられていて、滑りの達人ともなるとスライダーの出口からプールの岸へと至る水面までも滑るのだった。
そんな滑りの達人に憧れたものの、結局達人になることは叶わなかった。

──もっとも、達人の滑り方は怪我をする危険性が高いので、滑ったら監視員に注意されてしまうのだが。


遊園地の最奥にはコンクリート壁の内周に沿って自然豊かな園路があった。
この園路が今、壁が取り払われ、住民が歩ける緑道へと転用されていた。


歩いてみる。
すると、あの頃と同じワクワクした感情が胸に湧いた。

遊園地の園路だった頃、隣には子供向けのアスレチックがあった。
町の公園とは広さも遊具も規模が違うその場所は、子供の冒険心を十二分に満たしてくれる場所だった。
アスレチックは度々作り変えられており、園路がアスレチックの一部だった時代もある。

そういえば、その日出会った知らない子と世界が茜色に染まるまで遊んだこともあったなあ……。
そんなことを、道を歩いていて思い出した。


×    ×    ×

遊園地はやはりなくなっていた、見上げるほど大きかったアトラクションともに。
頭上にはただ空が広がっているだけだった。

けれど、あの日見た光景も、あの日抱いた感情も、鮮明に思い出せた。
形としてはなくなったが、これからも自分の中には在り続けるのだろう。

何もない空に、去りし日を重ねて。